安倍一強 これでよいのか日本のメディア

講師  永田浩三さん

永田 浩三(ながた こうぞう)さんのプロフィール
1954年生まれ。社会学者、ジャーナリストで武蔵大学社会学部教授。大阪府出身。 NHK入局後、主にドキュメンタリー、教養・情報番組に携わる。芸術作品賞・放送文化基金賞・ギャラクシー賞・ABU賞(アジア太平洋放送連合賞)・農業ジャーナリスト賞など多数受賞。菊池寛賞共同受賞。特に『クローズアップ現代』『NHKスペシャル』などのプロデューサーを務めた。 。

                     2017年12月9日 練馬区役所石神井庁舎にて                           

はじめに

 みなさんこんにちは。「安倍一強・これでよいのか日本のメディア」ということなのですが、基本的にはみなさんが日々「これはおかしいな」とお感じになっておられることを私の方で整理をさせていただいて、これから市民とメデイアの関係をどうつくっていったらいいのかについて触れてみたいと思います。
 明日、ノルウェーのオスロでノーベル平和賞の受賞式があります。「アイキャン」という核廃絶を求める国境を超えた運動家たちの声が、今回平和賞に結実したということです。ご存じのように今年の7月に、核廃絶を求めた「核兵器禁止条約」が採択されました。「被曝者の受け容れがたい苦しみに留意して…」という文言が冒頭に出てきます。70年を超える被曝者の運動がこういう形で実を結んだのが「核兵器禁止条約」だと思うのです。アメリカや核兵器保有国がどんなに邪魔をしても、この流れは止められないという大きな節目になっているのだろうと改めて思います。


たった一人でも問い続ける

 2011年の春、福島の原発事故が起きた年のお正月頃、私はNHKで、九条の会の発起人でもある大江健三郎さんと、第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんの対談を準備していました。核兵器だけでなく原発そのものもいけないのだという番組をつくろうとしていたのです。NHKは核兵器そのものを否定するのは良いけれども、原発を批判するのはいかがなものかなどと言い、そのことでやりとりしている間に3月11日が訪れることになります。この大江さんと大石さんの対談の中では、「原発NO」ということをはっきり番組の中で言ったのです。それは不幸にも原発事故が起きた直後だったので言えたわけですが、今もこのことは大事なことだと思っています。「核を巡る平和」という番組なのですが、核兵器だけでなく原発を含むということです。大石さんがこう言ったのです。乗組員の生き残りの一人として発言しているわけですが、「自分たちの被曝にどんな意味があったのかということを、一生をかけてと問い続けたい。仮に誰もそのことを問わなくなったとしても、私はたった一人でも問い続けるのだ」とおっしゃっています。今のメディアを考えるときに、たった一人でも問い続けるということがすごく大事なことだと申し上げたいと思います。

著作『ヒロシマを伝えるー詩画人・四国五郎と原爆の表現者たち』


 私の母は広島の爆心地から800メートルの距離で被曝をし、命を拾い、一昨年88歳でなくなりましたが、私を含め3人の子どもを生みました。この本は亡くなった後に出た本で、今日は会場に5冊ほど持って参りました。これは、四国五郎さんやガタロさんという広島出身の絵描さんたちの物語なのです。当時アメリカの落とした原爆の被害について語ることが許されない時代が7年間続きました。プレスコードと言いますが、プレスコードという検閲があっても、実は絵描さんや詩人、歌人、俳人などさまざまな人たちが、命の危険も顧みず声を上げて作品をつくっていたのです。

市民・マスコミ・権力

 今日のタイトルは「市民がマスコミを変える」ですが、レジュメに私は「市民・マスコミ・権力」と副題をつけました。権力と向かい合うマスコミ、ジャーナリズムというのは昔からあります。今でもそうです。この関係を2者の関係だけでは論じられないのです。もう一つは市民の力です。市民が直接マスコミを変えるということもあるかも知れない。同時に市民が持っている力は政治を変える。そういう力を持っているはずだ。しかし、最近の選挙を見るとたかだか25%の得票率で自民党政権を取ってしまう。それは投票率が低いからです。政治を変えることができると確信する投票が少ないからです。しかも戦後の政治を一貫して見てきたけれども、市民はどこまで自分たちの力に目覚めて投票しているのだろうか疑問です。これは市民だけのせいではない。それはマスコミが正しい報道を流さないからではないかという逆回りのことも考えられます。しかし、そういう3つのトライアングルにある関係を前へと回すことが大事なんだと、常々感じています。

加藤周一の怒り

 九条の会の初期の重要メンバーに加藤周一さんという方がおられました。亡くなられてもう10年になりますね。私はNHKにおりました時に加藤周一さんとはずいぶん一緒に番組をつくったりしていましたが、ヨーロッパの旅を一緒にしたことがあります。加藤さんは戦中派の方ですので、学徒出陣を体験されているのです。旧制第一高校の同級生に中西哲吉さんという方がおられましたが、彼は戦場で命を失いました。加藤さんにとって戦争に反対することは、二度と自分の友人である中西哲吉君のような悲劇を起こしてはいけない。中西君を殺すことが戦争なのだという言い方をしました。中西君一人が死ぬということが絶対悪なのだとも言いました。「私」という存在はとてもちっぽけなものであって、世界の中では米粒のような存在です。しかし「私」があるから「私が世界を認識し、私が世界をつくるのだ」とも言われました。デカルトの「人間は考える葦である」という言葉が示すように、「私という存在があるから人間は世界を考えるのだ」ということです。「私」と「世界」は同じ重みで釣り合っているということです。

今年ネットで最も検索された言葉

  「忖度」です。「忖度」は流行語大賞にも選ばれました。最近はコンビニなどでも「忖度御前」というものが売られてようです。大阪には「忖度まんじゅう」、それから「のり弁」ですね。
 実は私がいたNHKで10年前に「忖度」という言葉が流行ったのです。2001年に、私が編集長をしていたETV2001で、「問われる日本軍性暴力」という日本軍の慰安婦として連れて行かれた女性たちを扱った番組に対して、番組改変が行われました。放送の前日でしたけれども、安倍さんと面会をしたNHKのナンバー3が安倍さんに言われたことを持ち帰ってきて、あれを直せ、これを直せという指示を出して番組をぐちゃぐちゃにしてしまったのです。この時に番組に協力してくれた人達が、NHKを「約束違反だ。不法行為だ」として訴えました。この裁判過程の中で、一審の東東京地裁ではNHKが勝ち、二審は東京高裁ですが、我々が証言したことによってNHKが負け、最後の最高裁でNHKが勝ちました。この二審の時に「忖度」という言葉が使われたのです。「NHKの予算の国会審議に当たって、NHKの幹部が予算説明のために接触した政治家の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度して、できるだけ当たりさわりのない番組にするために修正を繰り返した」と事実認定をしました。私は100歩譲って、東京高裁がそういう言葉を選んだに過ぎないと思っているのです。本当はいろいろな圧力があった、弾圧があったのだが、それに対して口を割らないから、「言ってもいないのに、おもんばかって忖度した」ということにして、事実認定をしたということなのだと思うのです。


「三ない答弁}

 「目を背けることはできません」「はっきりと申し上げておきたい」「明確にしておきたい」。全部これ違うということです。「認めない」「調べない」「謝らない」。マクベスに「きれいは汚い」「汚いはきれい」という言葉が出てきますが、それと同じです。彼が「謙虚と丁寧」と言うときは「傲慢とぞんざい」と転換して聞かなければいけないと言うことです。彼一人だけならまだいいのですが、援軍が現れるからやっかいなのです。今国会で言えば、足立康史という大阪出身の維新の会選出の議員がこう言いましたね。「朝日新聞 死ね」と。彼は朝日新聞のニュースは「ねつ造・誤報・偏向報道」と批判し続けています。真実を伝えることが政権にとって都合の悪い時に、フェイクニュースという言葉で攻撃します。これはアメリカの大統領も同じですよね。


望月衣塑子記者

 菅官房長官は加計学園の一連の文科省の文書が出てきた時、「怪文書みたいなものではないでしょうか」と言いましたね。彼は獣医学部新設の過程に「一点の曇りもない」と記者会見で話していました。その菅さんを追い詰めて、彼の「ボロ」が出てくることになるきっかけをつくったのは、望月衣塑子さんです。東京新聞社会部記者です。練馬の方です。お父さんは業界紙の新聞記者で白子川の源流の保存の運動をされていました。お母さんは亡くなりましたが、黒テントの女優さんだったと思いますが、朝霞のキャンプなどの反戦・反基地運動をされていた方で、練馬では望月記者のファンがとても多いと聞いています。最近「新聞記者」という本を出されましたね。『週間読書人』という新聞に、望月さんと私の対談をさせていただいたのですが、「誰も聞かないなら私一人でも聞く」と彼女は言っています。
 首相官邸、総理大臣や官房長官が隠していたことはいろいろあるのですが、そういうものに対して「記者は質問をぶつけていく」という当たり前のことを当たり前としてやった人です。
 こんなことがありました。1972年、沖縄返還の記者会見で、安倍さんの大叔父に当たる佐藤栄作が、新聞から厳しい批判を受けて、「新聞記者は出ていけ!私は直接国民に語りかけたいのだ」と言いました。この時、新聞記者やテレビの放送記者は、罵倒され侮蔑されたわけですから全員出て行ったのです。こういう異常な中で記者会見が行われたのです。当時、70年代の記者たちはこれくらいの気骨はあったのですね。


前川喜平氏の反乱

 この間、読売新聞に「加計学園半世紀ぶりに獣医学部新設」という全面広告が載りました。この加計ありきという不透明な動きに対して、一人で告発した人がいます。ご存じのように前川喜平前文科省事務次官です。私は夜間中学校の取材をしていましたので、前川さんがどれほど夜間中学あるいは自主夜間中学の応援団であったかということは聞いていましたが、こんなにすごい人だったのだということをはじめて知りました。今年の5月ですが、これは朝日新聞だと思いますが、「新学部
総理の意向」という文字が紙面を飾ります。つまり「総理の意向を忖度して」ということです。これも本当に忖度かどうかはわからないのです。総理が言ってもいないのに忖度したのか、あるいは裏でもう決まっていたのではないかということは次の国会でも追及されるべきでしょう。前川さんは、官僚のトップの矜持をもって一人でも戦うということをやるわけです。この前川さんの反乱を止めさせようとするメディアがあります。読売新聞です。安倍政権を追及する新聞は、朝日・東京・毎日、テレビではTBS・テレビ朝日。安倍政権にすり寄る新聞は、読売・産経、テレビではNHK・フジテレビです。どちらにも転ぶのが週刊文春・週刊新潮というところです。すり寄る側というのは政権への忖度をする、あるいは政権が政治を私物化することを許す側に立っているということでしょうか。
 実は前川さんがこの一連の告発に動くに当たって、一緒にメディアとして食い込んでいたのは朝日新聞ではありませんでした。NHKなのです。ある社会部の10年に満たない記者が、最初に前川さんのインタビューを撮りました。それだけではなく、現役の文部官僚からの「裏取り」も複数していたのです。で、いざ放送というときに、政治部の局長の意向でそのニュースは「お蔵入り」ということになったのです。同じ時期、読売新聞は前川さんが出会い系バーに通っている怪しい官僚なのだということをことさら強調する記事を載せました。全国紙ですからどの地方版もみんな同じ扱いで、そこの場所だけ空けて置いて同じものを差し込むということをしています。トップが強引に押しこんで、無理やり記事にさせたということが推測できます。


「官邸の意向」文書

 私のところにも加計学園の関連の文章が回ってきました。読んでみるといろいろなことがわかるのですが、「最短スケジュールでやることは、官邸の最高レベルが言っている」とはっきり書いてあるのです。一つわかったことはヤンキー先生と呼ばれていた義家弘介さん(文部科学副大臣)が、実は理解力が足りなかったのです。そこで彼にわかるように文書として書いたものが残ったのです。もし義家さんがもっと頭が良かったら、「総理の意向」みたいな感じに書いたらそれで足が付くということは想定できますから、そこまで書かなくても良かったのだけれども、彼にわからせるために書いたのだと私は思います。「どう言えばいいかシナリオをくれ」と彼は言っていたのです。だから「こうしなさいよ」と指南してあげたものなのです。
 財務省は反対していましたから、結局獣医学部を一校だけ認めるというのは政治的判断ということになっていくのです。このNHKがお蔵入りにしたとか、不透明な部分について聞こえてきた後、私は「ひどいことが今起きているよ」ということを世の中に伝えようと思ってフェイスブックを使って発信をしました。結果的には毎日新聞と東京新聞が書いてくれて、日刊現代という過激な新聞にも載りました。「NHKよ!国民の方を向いてくれ」という一連の大きな記事です。
 今回加計学園問題ではいろいろな人の名前が挙がっていますが、この人の名前だけは覚えておかなければいけないと思います。萩生田孝一という人です。丁度今から三年前のことです。TBSに安倍総理が生出演して、当時まだ元気だった岸井成格さんが「街頭インタビューで安倍のミックスは全然効果が上がっていない」という町の声を紹介したのですけれど、安倍さんが切れて「意図的に安倍政権に批判的なものばかりを集めているのではないですか」というようなことを言ったことがありました。この騒ぎの後、萩生田はテレビ各局のデスクに、直に「公正な報道をしてくれ」という要請書を渡すのです。そのことでそれぞれのニュースデスクは安倍政権が不利になるような厳しい報道はしないというふうに舵を切っていくようになります。今回はさすがに加計学園問題で萩生田さん自身の名前が出ていましたから、これ以上弾圧すると損だというので彼は暗躍しなかったのです。ただ選挙が終わった後、野党と与党の質問時間の配分を巡って実際に汚れ仕事をしたのは彼です。


政権の私物化の中での警察とメディア

 もう一つ汚れ仕事で言えばこの人の名前を忘れてはいけないと思うのです。山口敬之さんというTBSの元ワシントン支局長です。彼は『総理』という本を出しました。幻冬舎というところから出したのです。この山口さんは今国会でいろいろ追及されたり、院内集会で話題になったりしたことをみなさんご存じだと思いますが、伊藤詩織さんへのレイプ事件です。伊藤さんはワシントンのTBSの仕事をするなどいろいろある中で、山口さんとお酒を飲んだのですが、なぜかお酒の強い伊藤さんがその日に限って泥酔をすることになったのです。そして気がついたらレイプをされていたというのです。この準強姦事件ですが、準というのはつまり意識がないとかもうろうとしていたということです。強姦よりレベルが下であるということではないのです。この事件は高輪警察がきちんと動いて、山口さんが日本に帰ってくる空港で待っていたのです。その時に高輪警察の携帯電話が鳴るのです。「逮捕中止」の指示です。この指示を出したのは中村格、当時は警視庁の刑事部長です。刑事部長が一事件の逮捕中止指令を直接出しているのです。ちなみに中村さんはテレビ朝日の報道ステーションの古賀重明さんの生のスタジオの発言の後、いじめた人でもあります。
 もう一つ私が許せないと思っているのは、クローズアップ現代の国谷キャスターが集団的自衛権の閣議決定の後、生のスタジオで菅官房長官に「海外の戦争に日本が巻き込まれる危険性はないのでしょうか?」と何度も聞いたにもかかわらずのらりくらりときちんと答えなかった。生のスタジオですから時間切れになって見苦しい形になってその放送は終わってしまうのですが、その後国谷さんやスタッフをいじめたのがこの中村格という人です。

11月3日に、国会前で5分だけお話をさせていただきました。4万人集会です。この時に山口さんに対して中村さんが逮捕しない指示をしたのは何故なのかといことを申し上げました。つまり、メディアは警察のお仲間なんだということです。私が事件をもみ消してあげようということです、つまりメディイアは悪の側にいて、安倍政権の私物化の中で、同類として扱われたということです。伊藤詩織さんの人権や尊厳が失われたことは、これが一番ひどいことではありますが、もう一つひどいのは、メディアは政権の側にそのように認識されている。それは何とも情けないことだと私は思います。


国連人権理事会のデビッド・ケイの報告書

 今年の春ですが、国連の人権理事会のデビッド・ケイさんという人が日本にやって来ました。彼は一昨年の11月に来日するはずでした。しかし高市早苗法務大臣がドタキャンをしてしまったとかいろいろあって、なかなか事実調査が進まず、去年ようやく来れたわけです。国連の人権理事会は、拉致問題については日本は解決の舞台として頼りにしているのです。しかし、こと言論の自由や代用監獄とかさまざまなことで日本は人権後進国であるのです。にもかかわらず、「私たちは先進国です」というので、その指摘を冷笑し無視するということを続けてきました。最近で言えば「朝鮮学校差別」ですよね。これは3回も指摘されているのです。ずーっと無視するどころか、ますますひどくなってきていると思います。
 デビッド・ケイさんの最終報告の中には、「メディアの関係者がバラバラになって孤立をしている。メディアの人間こそが言論の自由を持つべきだ。籠の鳥にされていて、自分の肉声を届けることができないのではないか。そういうメディアで良いのか」。もう一つは、放送法というのがテレビの世界にあり、その中に第四条「政治的公平」というものがあります。「政治的公平」という言葉が悪用されて降板などに繋がっている。だから「政治的公平という文言をなくしまったらどうか」とデビッド・ケイさんは指摘しています。もう一つ、放送局には5年に一遍免許更新という制度があるのです。つまり総務省の管理の下で放送はなされているのです。「これでは国に対して厳しい意見などできるはずはないではないか。総務省の管理を止めて電波管理委員会という戦後すぐにあった第三者委員会を復活させたらどうか」とケイさんは言っています。


歴史を振り返る

 安倍さんが国政に躍り出たのは1993年。宮沢内閣が選挙に負けて、細川政権ができたとき、野党の議員としてスタートしました。日本の戦争犯罪や慰安婦問題は認めたくないという立場を堅持していますけれども、そのことについてちょっとだけ整理をしておきます。1991年にキム・ハクスンさんという人が「慰安婦だった」と名乗り出ました。これを受けて日本政府は調査をして、河野官房長官談話を出します。談話といっても国際公約です。慰安婦問題について、「子どもたちも含めて教育の場などで学び、二度と同じようなことが起きないようにする」ということを言うわけです。こういうことは許せないと思ったのが安倍さんたちで、「歴史教育を考える若手議員の会」というものが誕生し、教科書攻撃が始まります。
 次に標的になったのがテレビです。私が編集長をしていたETV2001の時にNHKの幹部と安倍さんがやりとりをして、その時「お前、勘ぐれ」と言ったのです。「忖度しろ」という意味です。この発言の結果番組が変わってしまいます。2005年に番組再編の舞台裏で何があったのかということを、「朝日」が取材をして大スクープを出すことになります。2006年、私を含めて東京高裁で真実を公表し、いろいろなことが展開していくわけです。最高裁でNHKは勝ちましたけれども、BPO(番組放送機構)が、放送現場でいかに異常なことがあったのかということをもう一度検証して、NHKでもきちんと議論をしなさい、検証してできれば番組としてそれを放送しなさいという意見書を出します。2009年のことです。しかし、今2017年、その意見書は一顧だにされていないということでしょうか。その後、自民党がテレビ局にいろいろな圧力をかけることが続いていって、さっきのデビット・ケイさんの報告書に繋がる。こういう流れになっています。


なぜフェイクニュースの時代に?

 今年フェイクニュースという言葉がいろいろ言われるようになりました。フェイクとは偽りの意味です。これは取材をしていても間違う「誤報」から、「でっち上げ」とか「誇張」とか「捏造」とか「飛ばし記事」とかは今までもありました。一方で政治家が自分の気に入らないニュースをフェイクだと烙印を押す、トランプさんもそうですし、安倍さんもそうですね。もっとひどいのは選挙に勝つために、嘘なのにプロパガンダとしてそのニュースを流してしまうということでしょう。
 世界を見てみると、イギリスのEU離脱がありましたが、あの時は大衆紙などデタラメなものが飛びかいました。「エリザベス女王は離脱を支持している」などというのが飛びかうのです。嘘です。アメリカで言えばクリントン候補に対しての誹謗中傷もそうです。日本も同様でしょう。「エリザベス女王離脱賛成」などは週刊誌のトップに大きく出るわけです。最近で言えばこんなものも飛び交いました。日本の公務員バッシングです。「日本の公務員給与の平均は年収898万、ドイツは194万」というのです。いくら何でもこれはひどい。ここまでドイツは安くないし、カナダ・イタリア・フランスだって同じです。これは公務員の給与が高すぎるということをことさら言うためのフェイクニュースです。フェイクニュースが何故このように広がるのかというと、ネットを見る人は自分の好みの情報しか見ない、しっかり新聞を読まない中でのメディア不信が背景にあるからだと思います。
 和歌山の新聞が、「福島の浪江町で山火事が起き、放射性物質が拡散している」ということを大事件として取り上げました。デタラメでした。いろいろなデタラメがあるわけですけれど、有名なのは少し前ですけれど、「イラクの大量破壊兵器」です。今でもアメリカの10人の内4人は、イラクに大量破壊兵器があったと信じているのです。そんな中で、市民が、何が本当で何が嘘かをチェックする動きが始まっています。


NHKにもよい番組がある

 NHKのニュースはひどいです。でもNHK全体を見てみると、「731部隊」や「インパール作戦の悲劇」や「長崎の原爆が投下された被差別部落のキリスト教徒の物語」など良い番組がたくさんあります。しっかりと調査がなされ、資料が発掘され、現場の取材が行き届いた良い番組が出ました。これはかつて呪縛として存在していた戦友会がもはや機能しなくなって、元兵士たちが話すことができるようになったということも大きいのです。けれども相変わらずタブーがあり、慰安婦問題については語ることが中々難しい。公共財としてのメディアというものをもっと有効に使えないだろうかとつくづく思うわけです。メディアは声を上げられない人、困っている人のためにあるべきものなのです。憲法13条には「幸福追求権」があります。つまり収入や住まいが保障され、心と体が脅かされることなく、人々が繋がって安心して生きていける社会のために放送はなければいけないのです。人々と寄り添って、調べて、伝えるということにつきると思います。

したたかな運動を

 今から60年以上前の話ですけれど、杉並では公民館の館長室が事務局となって原水爆禁止運動の署名が集められたのです。このとき、共産党や社会党の人達が頑張リましたが、表に出でたのは自民党だったのです。何故か、自民党の人達が呼びかけた方がたくさんの署名が集まるからです。非常にしたたかな戦略がそこにはありました。目標は短期に設定したのです。すごいのは杉並だけでどれだけ署名を集めるかという目標の設定ですが、20万枚の署名用紙をまず印刷したのです。これが目標だということで頑張るのです。とにかくメディアも使ったり、いろいろなことをやって最終的には日本全体で3259万907筆となりました。今日の表題の3000万署名とほぼ同じくらいの目標が達成されたということです。 
 この一連の歴史について掘り起こしたのは私と一緒にやっていた丸浜江里子さんという方ですが、一昨日残念ながら亡くなりました。彼女たちと立ち上げたのが「フォーラム杉並」です。秘密保護法が上程されたときにもいっしょに戦いました。秘密保護法のお葬式をやろうということで、喪服で参列をしてみたりということをやりました。

まっとうなメディアを育てる

 私たちは何をすれば良いかということですが、メディアリテラシー、つまりメディアが何を言っているかを読み解くことが大事です。「嘘」が何なのかを検証することは簡単なことではありません。大事なことは無関心な人に何を伝えるかということです。メディアと市民が共同して戦う、心あるメディアは政治家の標的になりますから、どうやって政治家の攻撃からメディアを守るかが大事なことです。公共空間、つまりこのことはみんな知っているよというベースになる知識を、ベースになる情報をみんながもっている社会でなければいけないと思うのです。この人は知っているけれどこの人は知らないという世の中は不健全だし、力を持てないと思うのです。二日前、NHKの受信料を巡っての最高裁判決がありました。「公共放送重い責任」という表題で朝日新聞や毎日新聞の取材を受けたのですが、私はこう言いました。「戦前のNHKに戻るのか」つまり、受信料を実体化して義務的に徴収できるという判決でした。それには前提があるのです。払うにたる公共放送であることです。つまり公共放送としての資格がなければ、お金だけ取りますというシステムはおかしい。そもそも放送法第一条は「健全な民主主義に資すること」と書いてあります。健全な民主主義、つまり少数の意見も尊重してさまざまな人達が尊重される社会をつくるために放送はお役に立ちなさいということです。
 ここ数日の私の最大の心配は、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都にすることを認めたことです。これはEUのほとんど全部の国と、ほとんど世界中の国が「バカなことを言うな」と言っています。唯一いさめない国があります。日本です。これは中東の今後を左右する大変なことです。考えて見れば沖縄もそうですし、朝鮮半島の今の緊張もそうですけれども、どうやってアメリカが軍事大国として悪さをするのを防ぐことができるかということ抜きには世界の平和は考えられないわけです。軍事的にさまざまな戦争を引き起こしてきているのはどの国か。アメリカに追随して世界規模の平和が成り立つということはありません。世界規模の不寛容というものが今情報の世界を覆っています。安倍さんがそういう世界に異常に追随し、併走することを私はとても心配だと思っています。みなさん方と一緒に手を携えて頑張りたいと思います。

※「メディアに対して私たちに何ができるか」という会場からの質問に対し、永田さんは「褒めることと𠮟ること。100人の声で番組は変わる」とお答になりました。100人で変えることができるなら、私たちにもメディアを健全なものにしていく可能姓があるということですから、心あるメディアを政治家の攻撃から守るために、いいものは「良かった」と褒め、問題を感じたら𠮟りましょう。


 

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